【片山瑛一選手#1】ボール1個でみんなが楽しめる点がサッカーの魅力

セレッソ大阪 #16 片山 瑛一選手

 

--片山選手がサッカーを始めたのは何歳の時ですか?

片山 幼稚園の年中ですから、5歳くらいだと思います。

 

--サッカーを始めたきっかけは何ですか?

片山 当時の僕は、両親を相手にボール遊びをするのは好きだったのですが、すごく「弱虫」というか、毎日幼稚園から泣きながら帰ってくるような子供でした。そこで親が心配して、通っていた幼稚園のサッカークラブに入れてもらったのが、サッカーとの出会いです。そこから「弱かった」部分は変わっていったと、後に両親からは言われました。

 

--他のスポーツは全くやらなかったのですか?

片山 やらなかったですね。習い事としても、水泳を少しやった程度です。他の球技は全くやっていませんでしたね。

 

--友だちと遊び程度にもですか?

片山 遊び程度ということであれば、色々とやっていました。僕の両親はどちらも教員なのですが、バスケットボールをプレーしていたため、勤務先の学校でもバスケットボール部の顧問を務めていました。その関係でバスケットボールもよくやっていました。また放課後には友だちと野球やバドミントン、テニスなどをやりながら遊んでいました。

 

--様々なスポーツの中でサッカーが一番魅力的に思えた点は何でしたか?

片山 ボールが1個あれば、みんなが集まって、一緒に楽しめるという点が大きかったかなと思います。休み時間になると、ボール1個を抱えて急いで外へ出て、みんなで楽しんだという思い出が、サッカーの楽しさを肌で感じた記憶にもなっています。

 

--子どもの頃から個人競技よりも、チームスポーツの方が好きでしたか?

片山 そうですね。遊びの中でも、チームスポーツの方がプレーする機会が多かったかなと思います。

 

--サッカーを続ける中で、高校進学時にサッカー強豪校に行きたいという思いはありませんでしたか?

片山 それはありませんでした。そもそも中学生になる段階で、大宮アルディージャのジュニアユースチーム(U-15)のセレクションも受けてみましたが、落ちました。地元のサッカークラブもありましたが、中学校では部活動を選びました。成績もそれほど悪くなかったので、サッカー一本というよりは、文武両道というところを目指して進んでいこうと自分の中では決めていました。ですから高校を選択する上では、サッカーで選ぶのではなく、学業の成績に応じて選び、進学先の環境の中で、全力でサッカーに打ち込みたいという思いで高校を選びました。

 

--では13~4歳の頃は、10年後の自分がサッカーを職業にしているとは思ってもいませんでしたか?

片山 全く思っていませんでした。本当に考えもしませんでした。

 

--中学時代の自分のサッカーの実力はどのくらいだったと思いますか?

片山 全然ですね(笑)。部活動の中では巧い方だったと思いますが、県代表に選抜されるとかいうレベルではありませんでした。せいぜいが、(川越)市の大会でちょっと目立つかなという程度でした。ですからプロなどは全く意識していませんでした。ただサッカーに全力で取り組んでいたというだけでした。

 

 

--全てをサッカーにかけるのではなく、勉強もしながら、空いた時間でサッカーに全力を尽くすということですね?

片山 そうでした。

 

--それはプロサッカー選手としては珍しいのでは?

片山 珍しい方かもしれませんね。プロの世界では、中学生の頃から年代別の代表に選出されてというステップを踏みながらプロまできている選手が多いと思いますので、そういう意味ではあまりいないタイプかもしれませんね。

(#2に続く)

片山 瑛一(かたやま・えいいち)

出身:埼玉県
生年月日:1991年11月30日
身長:180cm
体重:77kg
ポジション:DF

川越西中学校(’04)
埼玉県立川越高校(’07)
早稲田大学(’10)
ファジアーノ岡山(’14)
セレッソ大阪(’18)

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