【片山瑛一選手#2】教師を目指して早稲田大学に進学

セレッソ大阪 #16 片山 瑛一選手

 

--中学時代はどのくらい勉強していましたか?

片山 高校受験に関しては、大学受験の時よりも勉強したかもしれません(笑)。今の時代は、高校へは殆どの人が進むと思いますが、高校受験に対しては自分の中では結構プレッシャーが強かったです。成績は割合に良かったと思いますが、逆にそれが「受かって当然」という風になりかけていたという感じです(笑)。だから、そのプレッシャーに打ち勝つくらい勉強しなければと思っていました。それこそ、親が心配になるくらい勉強していたようです(笑)。

 

--片山選手は教師志望だったということですが、その頃には、既に教師になることを目標にしていたのですか?

片山 まだぼんやりとはしていたと思いますが、両親ともに教師だったので、身近にある職業としてイメージしていたのだと思います。

 

--片山選手の母校である県立川越高校は、県下有数の進学校として有名ですが、サッカーは強かったのですか?

片山 僕の代では県大会でベスト16まで進むことができましたが、毎回、県大会に出場できるというほど強い高校ではありませんでした。

 

--高校のサッカー部について、入学前にリサーチはしていましたか?

片山 それほど強いということはないだろうなと、漠然と思っていました。それでも川越高校自体が、何事にも一生懸命に打ち込むという校風だったので、成績うんぬんではなく、自主性を重んじた部活動の運営が行われているという情報は得ていました。ですから、自分たちの代で強くするのも楽しいだろうなという風に考えて入部しました。

 

--実際に入部したサッカー部はどうでしたか?

片山 数人はサッカー未経験者で、高校からサッカーを始めたということでしたが、みな部活動の時間には一生懸命やっていたのが印象的でした。始める時期が遅くとも、伸びる人は伸びますしね。個人間でのレベル差はあったかもしれませんが、気持ちの面では揃っていたように思います。

 

 

--サッカーの世界には中学や高校の部活動とJクラブを中心としたクラブチームがありますが、部活動の良さは何だと思いますか?

片山 そうですね。(暫く考えて)部活動は学校生活の一部という大原則があります。ですから私生活も含め、部活動以外の部分でも、チームメートと時間を共にすることが多くなります。そこから生まれるまとまりやチームマネジメントといったところが、部活動特有の醍醐味なのかと思います。

 

--Jクラブのアカデミーのように傑出した個人がいるわけではないけれども、その分まとまれるというところもありますか?

片山 そうですね。クラスは違ったとしても同じ学校にいる以上、一緒に過ごす機会は自然と多くなります。練習からの帰り道も一緒に帰るということも多いですから、濃い時間を長く過ごすことになり、いい意味で影響しあえる仲間が得られたのかなと思います。それがまとまりを生むという効果は、確実にあるように思います。

 

--片山選手がプロを目指したのは大学生の時ということですが、まず早稲田大学を進学先として選んだ理由を教えてください?

片山 高校時代に進学先を考えるわけですが、当時は体育の教員になりたいという思いがありました。そこで、教員免許が取得できる大学を選択肢として進路を考えました。その中で早稲田大学が浮上してきました。さらに教員になりたいという思いとは別に、大学でサッカーに真剣に打ち込んでみたいという思いもありました。早稲田大学は関東大学サッカーの強豪ですから、そこならば高いレベルのサッカーに挑戦できるだろうと考えて、早稲田大学を選びました。

 

--早稲田大学ではア式蹴球部(=サッカー部)に入部しますが、一般入試から入ってきた部員は同級生では片山選手だけだったと聞いています。そこまでしてア式蹴球部に入ろうと思った理由は何ですか?

片山 高校生のときはケガも多少あり、サッカーをやりきったという気持ちになれませんでした。だから大学でもサッカーに真剣に打ち込みたいという気持ち、そして自分の限界を知りたいという思いが強かったです。サークルなどで気楽にサッカーを楽しむという選択肢もあったのかもしれませんが、自分はどこまでサッカーが巧くなれるのかということを、技術面も含めて、限界までチャレンジしてみたいという気持ちでア式蹴球部を選びました。

 

 

#3に続く

片山 瑛一(かたやま・えいいち)

 

出身:埼玉県
生年月日:1991年11月30日
身長:180cm
体重:77kg
ポジション:DF

川越西中学校(’04)
埼玉県立川越高校(’07)
早稲田大学(’10)
ファジアーノ岡山(’14)
セレッソ大阪(’18)

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