中高生アスリートへ~オリックス・バファローズ 松井 佑介 選手

舞洲プロジェクトは、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)によって大きな影響を受けた、中学生・高校生アスリートを応援しています。
そこで、大阪に拠点を置くプロスポーツクラブ(大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、セレッソ大阪)の“先輩アスリート”からの応援のメッセージをお届けします。

第1弾はオリックス・バファローズの松井佑介選手からのメッセージです。

 


 

「頑張れ!中学生・高校生アスリート!」
オリックス・バファローズ #56 松井 佑介選手
(2020.6.3オンラインにて収録

 

 

 

ーー昨日から実戦が始まりましたが、久し振りのグラウンドは如何でしたか?

 

松井 すごく楽しかったです。しかし、まだピッチャーの球も見えていない部分があるので、その辺りを修正していきたいですね。

 

 

ーー2か月以上空いてしまうと、試合勘はなくなるものですか?

 

松井 ここまで空くことはシーズン中にはありませんが、自分の中では大丈夫かなと思っていました。ですが、想像した以上に感覚は失われていましたので、そこは自分でもびっくりしています。

 

 

ーー野球のできない時期が長かったことで、これまでと意識に変化はありましたか?

 

松井 こうしてグラウンドに立てているのは、医療従事者の皆さんをはじめとした、様々な方のおかげですので、そういう人たちの思いにプレーと結果で恩返ししたいと思っています。

 

 

 

 

肘の故障で野球を諦めかけた中学時代。そこから学んだものとは。

 

ーーでは、まず松井選手ご自身のことについておうかがいします。松井選手は、小学校ではソフトボールをプレーしていたそうですね?

 

松井 そうです。小学校の時、地域の子ども会のソフトボールチームに入りました。硬式野球を始めたのは中学生になってからです。

 

 

ーー平野ボーイズ(大阪市平野区)ですね?

 

松井 はい。

 

 

ーー中学時代はどんな夢をお持ちでしたか?

 

松井 小さいころからの夢は「プロ野球選手になる」ということでした。ですからそのために、野球の強い私学の高校に進学したいと思っていました。

 

 

ーーその当時の具体的な目標は何でしたか?

 

松井 チームとしては全国大会を目標にしていましたが、正直、それほど強いチームではありませんでしたので、その夢は果たせませんでした。それでも全国大会に出たいという思いは持ち続けてプレーしていました。

 

 

ーー高校(大商大堺)時代は、甲子園出場を目標にしていたのですか?

 

松井 そうですね。今でもそうですが、大阪は強豪校が多く揃っています。ですから、ここを勝ち抜いて甲子園出場を果たすというのは、高校時代の最大の目標になります。残念ながらその夢は果たせませんでしたが(注:高校3年時、大阪大会決勝で大阪桐蔭に敗れ準優勝)、チーム全員が同じ夢を持っていたと思います。

 

 

ーー学生時代の松井選手にとって、野球における挫折は何ですか?

 

松井 最大の挫折は、中学2年生の時のケガだと思います。肘を痛めました。いわゆる「野球肘」だったのですが、病院に行ったとき、診察してくれた先生から「この肘は、もう野球ができない肘だよ」と言われました。この言葉を聞いたときは、野球を止めなければいけないのかと思い、大きなショックを受けました。その後、その医師の方の指導もあり、リハビリを続けた結果、幸いにも何とか復帰することはできましたが、やはり最初は「お医者さんにも言われたので、プロ野球選手になるという夢は諦めるしかないのか」と思った記憶があります。

 

 

ーーケガをした直後はどのように感じられましたか?

 

松井 そうですね。その頃には勉強もせずに野球ばかりしていましたので、それが出来なくなると思ってしまうと、この先どうやって日常生活を送っていけばいいのだろうというくらいの気持ちになりました。病院には父親に送り迎えしてもらっていたのですが、その帰り道に車の中で「もう野球は諦めて、他の道を探さなければいけないのかな」という話をしたことを、今でも昨日のことのように覚えています。

 

 

ーーそのケガで野球ができない期間はどのくらいあったのですか?

 

松井 トータルでは半年間程度でしたが、最初の2~3か月はボールを全く投げることができませんでした。バットスイングすらもできない時期もありました。

 

 

ーー野球に復帰できない場合の未来も具体的に考えましたか?

 

松井 本当に野球しかしてこなかったので、万が一に備えて家庭教師をつけてもらったりはしました。それでも、繰り返しになりますが、野球を諦めることはできなかったので、絶対に肘を治して、もう一度野球をやると思い続けていました。

 

 

ーーその苦しい時期に、松井選手の支えとなったものは何でしたか?

 

松井 一つには父親の存在だったと思います。先ほどもお話ししましたが、医師の方からは「もう野球は止めた方がいい」と言われましたが、父親は「まだ中学生だし、諦めずにリハビリを頑張れば、絶対に治るから」と声をかけ続けてくれました。私自身も野球が大好きなので、諦めることは出来ず、頑張って強い高校に進学して、夢である甲子園を目指すということも諦められませんでした。父親の言葉に加えて、その強い思いがあったからこそ、夢に向かってリハビリを頑張ろうと思い直すことができました。この時の経験で「諦めずに続けていれば、前に進むことができる」ということを教えてもらったと思っています。まだ中学生と幼い時期でしたが、いい経験ができたと思っています。

 

 

ーーこの時期に支えになった本やマンガはありますか?

 

松井 野球マンガが好きだったのですが、その時期はあだち充先生の「H2」というマンガをよく読んでいました。それは強豪校の野球部を舞台とした話だったのですが、読みながら「自分も甲子園でホームランを打ちたい」とか、いいイメージを持ちながら日々を送っていた記憶があります。

 

 

 

 

大会が中止になった中高生へ、今伝えたいこと。

 

ーー今年は夏の甲子園も開催が難しい状況ですが、今の松井選手が高校3年生だったらどういう気持ちになると思いますか?

 

松井 とてつもなく落ち込むでしょうね。1・2年生にとっての高校野球と3年生にとっての高校野球は、全然違うものだと思います。今の高校3年生は、自分たちが先頭に立って甲子園を目指すという決意を固めた時期のコロナウイルスによる中止ですから、それは落ち込んで当たり前だと思います。落ち込むということ自体は、誰もが頑張っている以上、当然のことではありますが、そこから如何にして前を向くように切り替えられるかが、本当に大事なことなのだと思います。何とかプラス思考に切り替えてもらいたいです。甲子園には行けなかったかもしれませんが、3年間頑張ってきたことを、彼らの今後の人生に活かしてもらいたいと思います。

 

 

ーー松井選手は東京農大に進学されましたが、高校時代から大学進学は考えていたのですか?

 

松井 プロ野球を強く意識するようになったのは、高校2年生の頃からでしたが、プロに行きたいという思いとは別に、大学に進学して見識を広めたいという思いもありました。プロ野球は自分が行きたいと思うだけで行けるような世界ではありませんので、大学に進みたいという思いも現実の希望として持っていました。ちょうど高校2年生の頃、そういった思いで日々揺れていたことを覚えています。

 

 

ーー松井選手はプロ野球選手になりたいという長期的な目標と、大学に進学したいという短期的な目標を持っていましたが、そうした先の目標を、今からでも高校3年生に持ってほしいと思いますか?

 

松井 まずは夢を大きく持ってほしいと思います。例えばプロ野球選手になるというのは、大きな目標です。その中で身近な目標を立てることができれば、一日一日を意味のあるものに変えることができると思いますので、長期目標と短期目標を設定してほしいと思います。

 

 

ーー今、自治体などが中心となって色々な救済措置を考えているようですが、元高校球児としてはどのようなことが救済になると思いますか?

 

松井 このまま「ハイ終わり」というのが、最も可哀そうだと思います。高校野球の集大成として、最後に3年生だけでも試合をすることで、気持ちの上で区切りをつけられるんじゃないかと思います。最後は試合で終わってほしいなと思います。

 

 

ーー様々な大会がなくなったことで進学や就職に影響はあると思いますか?

 

松井 見てもらえる機会が少なくなったという意味では、多少は狭くなった可能性はあると思いますが、高校野球で学んだことは野球だけではないはずです。挨拶を含めた礼儀や仲間を思いやる心など、多くのことを学んでいると思います。ですから進路のことだけを考えるのではなく、自分が3年間努力してきたことを自信に変えて、それを抱き続けていれば、自ずと道は開けてくると思いますので、信念をもって生きていってほしいと思います。

 

 

ーー松井選手はプロ野球に入るまで、不安を抱えていましたか?

 

松井 そうですね。ドラフト当日、自分の名前が呼ばれるまで、ずっと不安と戦う日々を過ごしていたと思います。その不安を「自分は絶対にプロ野球選手になるんだ」といういいイメージの裏側に隠して日々を過ごしていました。

 

 

ーーそういった気持ちになるために必要なことは何ですか?

 

松井 私は今でも毎日「何事も楽しんでやる」ということに重きを置いています。不安感が勝ってしまうと「ダメだったらどうしよう」というマイナス思考になってしまいますので、野球以外のことでも「自分は絶対にできる」という気持ちでことに当たれば、考え方も変わってくると思います。

 

 

ーー松井選手も中学や高校時代に挫折も経験していると思いますが、そうした経験はプロ野球選手になった今、活きていると思いますか?

 

松井 挫折の数が、その人を大きくすると思います。私も色々な挫折をして、その都度様々な人から温かい言葉をいただいてきたからこそ今があると思っています。そうした経験は大事だと思います。

 

 

ーー野球に限らず、今、目の前の目標を失ってしまった中学生や高校生にアドバイスをお願いします。

 

松井 こうした状況に置かれてしまったことは、本当に可哀そうだと思います。今はとことん落ち込んでいいと思います。大事なのはその先に、新たな目標設定をすることではないでしょうか。その目標を高く持って、そこに向けてしっかりと楽しんで歩んでいくことが、次の道を開くと思います。常にプラス思考で、色々なことにチャレンジして頑張ってほしいと思います。

 

 

ーー最後に、今シーズンはどのようなプレーを見せたいと思っていますか。

 

松井 チーム一丸となって、ファンの方を魅了できるようなプレーを見せたいです。ファンの皆さんには、一球ごとのガッツあふれるプレーをぜひ見ていただきたいと思います。野球ができることに感謝しつつ、勝ちにこだわって、一球一球を大事にプレーしていきたいと思います。

 

 

ーーありがとうございました。松井選手の今シーズンの活躍を期待しています。

 

 

 

 

 

 


 

 

松井 佑介選手サイン色紙プレゼント

舞洲プロジェクト公式ツイッター(@maishima_pjt)宛に、松井選手への応援メッセージをお寄せください。公式アカウントをフォローの上、DM(ダイレクトメッセージ)にてメッセージをお送りください。メッセージを投稿していただいた方の中から抽選で1名様に松井選手のメッセージ入りサイン色紙をプレゼントいたします。

 

応募期間:2020年6月15日(月)12:30~6月30日(火)23:59

 

※プレゼント当選のご連絡はTwitterのDMにて詳細をご連絡致しますので、公式アカウント「@maishima_pjt」をフォローしてください。
※当選者の発表は、プレゼントの発送をもってかえさせていただきます。
※当選者の方には7月15日(水)までにご連絡いたします。
※電話等による当選に関するお問い合わせには応じかねますのでご了承ください。

 

 

登録名/本名:松井 佑介(まつい ゆうすけ)
生年月日:1987年7月10日 年齢 32歳
身長:185cm
体重:87kg
出身地:大阪府
投打:右投げ/右打ち

経歴:大阪商業大学堺高-東京農業大-中日(ドラフト4・10~19)-オリックス(19~ )
登場曲:ワタリドリ[Alexandros]

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