梅田スノーマンフェスティバル

2019年11月22日(金)から12月25日(水)の間、梅田で行われた「梅田スノーマンフェスティバル2019」。10回目を迎えた、冬の梅田の風物詩ともなっているこのイベントに舞洲プロジェクトも参加しました。

 

舞洲プロジェクトが登場したのは12月8日(日)。会場は大阪ステーションシティ時空(とき)の広場でした。午後2時から「舞洲プロジェクト スペシャルステージ」と銘打って行われたステージではトークやダンスなど、様々なイベントが行われました。

 

最初のプログラムは「レポータートーク」。オープニングトークに登場した、オリックス・バファローズのボイス・ナビゲーター神戸佑輔さんが司会を務める中、登場したのは大阪エヴェッサガールズパフォーマンスユニット「BT」のリーダーを務めるCHIHIROさん、オリックス・バファローズのスタジアムレポーター山根七星さん、セレッソ大阪応援ナビゲーターの森脇るかさん(2019年をもって卒業)の3人。
「冬のイメージは?」という神戸氏の質問に対して、森脇さんとCHIHIROさんは「いつも半袖で応援しているので、実は冬は嫌いです」(森脇)、「夏生まれなので冬は苦手です」(CHIHIRO)と本音をポロリ。そんな中、山根さんだけは「2月生まれだし、クリスマスなどイベントが多い冬は大好きです」と答えていました。
そして3人からスノーマンフェスティバルの説明があり、続けて舞洲、そして各クラブについてのPRが行われました。3人の明るいトークに、会場は笑いに包まれていました。

 

 

続いてのプログラムはキッズチアパフォーマンスでした。Bs Little Girls、長居ホッパーズ、セレッソ大阪キッズチアが続けて登場、パワフルなステージで会場の温度を一気に高めてくれました。

 

こうして会場が温まったところで、この日のステージのメインイベントともいうべき「コーチのトークショー」が行われました。
登場したのは2019年のオリックス・バファローズジュニアチームの監督を務めた塩崎真氏、セレッソ大阪のスクールマスター勝矢寿延氏、大阪エヴェッサのアシスタントゼネラルマネージャー兼アナライジングディレクターの冨山晋司氏の3人。大阪を代表するプロスポーツチームのコーチが競技の枠を超えて揃う、舞洲プロジェクトならではの企画です。神戸さんとCHIHIROさんの司会の下、トークショーが行われました。

 

–それぞれのスポーツを始めたきっかけは?
塩崎「小学校4年生の時から野球を始めました。父親が元高校球児だったこともあり、家では食事の時プロ野球中継を見ながらのことが多かったです。そんな中で、自然とプロ野球選手への憧れが生まれていきました」
勝矢「小学校時代は武道をやっていました。中学生になった時、友だちがサッカー部に入るといっていたので、それについていったのがサッカーとの出会いでした」
冨山「小学生の時は野球をやっていました。小学校6年生の時、BS放送でNBAを観たことがバスケットをやるきっかけになりました」

 

–皆さんは最初から巧かったですか?
塩崎「最初は下手でした」
勝矢「中1の頃はリフティングが10回出来ませんでした」
冨山「中学の中では旨かったという程度です」

 

–子どもの頃はどんな意識で練習していましたか?
塩崎「とにかくプロ野球を見て、憧れの選手を真似していました。基礎は大事ですが、真似るというのにも技術が必要ですので、それは役立つと思います」
勝矢「ボールを蹴っている中で発見があります。それが楽しくなってきたのが、サッカーにのめりこんだ理由です。そこで上達を実感できたのだと思います」
冨山「僕は部活動が体質的に合わなくて、高校1年生で退部しました。そこからは街のクラブでバスケットボールをプレーしていたNBAオタクでした。母校の練習を手伝っている中で、コーチングに目覚めました」

 

–何か印象深いエピソードはありますか?
塩崎「僕は14年間現役を続けましたが、イチローと同い歳なんです。でも僕がオリックスに入団した時、彼は既に看板選手でした。何て呼ぶべきか迷っていたところ、当時の寮で出会った時、彼の方から『あっ、同級生!』って声をかけてくれたことが思い出深いです」
勝矢「FIFA U-20ワールドカップに出場した時、アルゼンチン代表と対戦し、あのマラドーナ相手に90分間マンツーマンでついたことが最大の思い出です。マラドーナは身体が小さいので最初は侮っていましたが、とにかく巧く、身体も強く、最後まで振り回されました」
冨山「20代前半の時、中学の外部コーチを軽い気持ちで引き受けましたが、それはコーチになる大きなきっかけでした。最高の思い出は2年前、アルバルク東京のコーチとしてBリーグ優勝を経験できたことです。あの経験をエヴェッサでも全員で味わいたいと思っています」

 

–子どもに教える時、気をつけていることはありますか?
塩崎「普段から野球の普及活動をやっていますが、投げた嬉しさ、打った嬉しさを伝えていきたいと思っています。何が子どもにとってベストなのかはいつも考えていますが、未だに答えは見つかっていません」
勝矢「子どもの中でもレベル差はありますから、子ども一人一人を見続け、その変化に気付いてあげることを意識しています。そしてその変化を褒めてあげることで、サッカーを楽しいと思ってくれると思っています」
冨山「バスケットボールはチームスポーツですので、まずは友だちとみんなでプレーする楽しさを感じてもらい、そして成功体験をそこに加えていけるように意識しています」

 

–子どもが壁に当たった時は、どんな声をかけてあげればよいのでしょう?
塩崎「私自身、父からは『考えろ』ということを言われ続けました。監督やコーチに言われたことが解らなければ、それを相談すると、その意味を解説してくれました。そして解決策は自分で考えていました。やはり自分で答えを探させるように導いてあげるのがいいと思います」
勝矢「急にうまくなるということはありません。巧くいかない時期も、毎日ボールに触らせて、たくさんボールを蹴らせることが大事なのではないでしょうか」
冨山「私が部活を辞めた時も、両親は何も言わず、好きなだけNBAを見せてくれました。干渉しすぎないことは、子どもにとっていいような気がします」

 

–どんな子どもが旨くなっていくと思いますか?
塩崎「サッカーやバスケットもそうですが、チームスポーツでは周りを見ながらプレーできる協調性は絶対に必要ですね」
勝矢「アマチュアの選手をスカウトをする際、見るのは性格的な部分です。時には小学校時代まで遡って、当時の指導者の方に優しさなど性格的なことをうかがいます。やはり最後は人間性が大きいような気がします」
冨山「見てきた中では、自発的にやる子が伸びていっているように感じました。好きと得意は違います。プロ選手になるまでには、必ず壁に当たる時期もありますが、そこを乗り越えるのは好きという感情だと思います」

 

–コーチとしてのやりがいはどこにありますか?
塩崎「6年間ファームのコーチを務めましたが、真夏に泥まみれになって練習していた選手が、1軍の試合で活躍している姿を見るのは、指導者冥利に尽きますね」
勝矢「入団時にレベルが低いと思っていた選手が、プロになってから居残り練習をしたり努力しながら伸びていく姿を見ると、やはり感動します。練習は嘘をつきません」
冨山「中学校のコーチをしていた時、選手が卒業してからも、追いかけて試合を見に行くようにしていました。そうして選手との繋がりを深めていくことができたとき、コーチとしての喜びが感じられるような気がしています」

実績ある3人のトークは大盛り上がり。終了後、会場は割れんばかりの拍手に包まれました。

 

最後は再びキッズチアパフォーマンスが登場。大盛況のうちに、舞洲プロジェクト特別ステージは幕を閉じました。

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