【太田椋選手#4】小学生・中学生年代では野球を楽しむことが一番大事です

オリックス・バファローズ #31 太田 椋選手

 

--高校時代、寮生活は厳しかったですか?

太田 ルールが厳しかったですね。

 

--今はいい思い出ですか?

太田 そういったことがあったからこそ、野球以外の面でも成長できた時代だったと思っています。

 

--ご自分の中でもっとも人間的成長を遂げた時代ということですね?

太田 そうだと思います。

 

--中村良二監督(天理高)の影響は大きかったですか?

太田 それも大きかったですが、学校の教えなども含めて勉強させられることも多かったです。

 

--中村監督の言葉で印象に残っている言葉はありますか?

太田 多分1年生のときだったと思いますが、「高校を卒業後、プロに行きたいのならば、人と同じ練習をしていては無理。だから人よりも努力しなさい」といわれました。それが印象に残っていますね。

 

--その言葉は、どのように太田選手を変えましたか?

太田 練習量もそうですが、練習中の意識というか、色々と考えて練習するようになりました。具体的には素振りひとつにしても、ピッチャーを具体的にイメージして、1スイングも無駄にしないようにするよう心がけました。その他でも、人が考えていないことをやろうと考えて練習していました。

 

--野球について深く考えるようになったのが、そこからですか?

太田 そうです。それまでは素振りでも数を振ることばかり考えていたような気がしますが、練習の意味を考えるようになったと思います。

 

--野球で一番の挫折というと何ですか?

太田 高校時代、キャプテンになった直後の秋の大会ですかね。それまでで最も自分の思い通りにならなかった大会でした。守備でもエラーを5個くらいして、自分を見失っていたような気がします。

 

--練習量も十分にあったと思いますが、なぜ気持ちを切り替えられなかったのだと思いますか?

太田 キャプテン就任直後の大会だったので、責任感から堅くなってしまっていたように思います。

 

--やはり名門校の伝統を感じていましたか?

太田 そうしたものは大きかったかもしれません。

 

--その挫折をどう乗り越えましたか?

太田 やはり練習するしかないと思っていましたので、量と質の両方を追及して練習することで乗り越えようと思いました。多分自分に自信がなかったのだと思います。ですから2年生の秋から冬にかけて、そこで練習したことで少しずつ自信が持てるようになりました。

 

--最後にプロ野球を目指す子どもにアドバイスをお願いします。

太田 小学校や中学校では野球を楽しむことが一番大事なことだと思います。厳しいときは、プロ野球を目指しているということを思い出して、そこに戻ってくれば乗り越えられるような気がします。

 

--野球を楽しむために最も必要なことは何だと思いますか?

太田 やはり自分がやりたくてやっているスポーツだと思いますし、勝利でもヒットでもホームランでも、巧くいったことが一つでもあれば、それを思い出すことで、もう一度それを味わいたいと思えるのではないでしょうか。それを忘れずにいてほしいです。

(了)

 

太田 椋(おおた・りょう)

出身地:大阪府
生年月日:2001年2月14日
身長:181cm
体重:78kg

経歴:高鷲南小-羽曳野ボーイズ(高鷲南中)-天理高(甲)-オリックス19年

ドラフト:2018年1位・オリックス

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