オリックス・バファローズ #31 太田 椋選手
--太田選手が野球を始めたのは何歳の時ですか?
太田 野球を始めたのは小学校3年生です。
--それまではやっていなかったんですか?
太田 遊びでキャッチボールをやるくらいのことはありましたが、本格的に始めたのは小学校3年生のときです。
--それまでは何か他のスポーツをやっていたのですか?
太田 水泳を習っていました。
--子どもの頃、野球をやりたいとは思っていなかったのですか?
太田 小学生になってからは思っていたんですが、機会のないまま、小学校3年生までは水泳を続けていました。
--太田選手は、お父様(太田暁・元近鉄バファローズ、現オリックス・バファローズ打撃投手)がプロ野球選手でしたが、自分も野球をやることになるだろうという予感めいたものはありましたか?
太田 やることになるだろうという感じではなく、やりたいと思っていました。
--子どもの頃、家で野球中継をご覧になっていたのですか?
太田 そうですね。やっぱり阪神戦が中心でしたが(笑)。
--自分が周りの友だちよりも身体能力が勝っていると自覚したのは何歳の頃ですか?
太田 小学校に入ってからですかね。
--小学校低学年の頃から足が速かったとかいうことはありましたか?
太田 そうですね。一番速かったと記憶しています。
--太田選手は、手動計測で50mを6秒2という記録があるそうですが、それは高校時代のタイムですか?
太田 はい。でも中学3年生の時には、それくらいのタイムで走っていました。
--野球を小学校3年生で始めたときから、同級生の中では巧かったという実感はありますか?
太田 まあ、そうですね(笑)。どの時代も中心選手としてプレーさせていただいていました。
--子ども時代に野球で行き詰まりを感じたことはありますか?
太田 子どもの頃は単純に野球が楽しくて、プレーを楽しんでいましたから、そういった行き詰まりのようなことは感じませんでした。
--最初にプレーしたポジションはどこでしたか?
太田 ピッチャーとショートでした。
--やっぱりショートだったんですね。
太田 そうでした。
--ショートはご自分の希望だったんですか?
太田 そうです。でも小学生の頃は、ピッチャーの方が多かったですが、中学生になったとき投手は辞めて、ショート一本でやることになりました。
--中学生になるのと同時だったんですか?
太田 中学生になっても最初の頃はピッチャーもやっていましたが、途中から野手になることになりました。
--それは何かきっかけがあったのですか?
太田 自分自身、ピッチングよりもバッティングの方に自信がありましたから、それをより活かすために野手を選びました。
--中学生のとき、ジャイアンツカップ(全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップ・硬式野球の中学年代クラブチーム日本一を争う全国大会として毎年8月に開催されているトーナメント)に出場されていますが、その時はショートとして出場されているのですか?
太田 そうです。
--その頃の打順は何番でしたか?
太田 3番でした。
太田 椋(おおた・りょう)
出身地:大阪府
生年月日:2001年2月14日
身長:181cm
体重:78kg
経歴:高鷲南小-羽曳野ボーイズ(高鷲南中)-天理高(甲)-オリックス19年
ドラフト:2018年1位・オリックス